全54営業所を行脚!九電再生を導いたトップの対話術

2026年1月5日

RKBラジオの番組『下田文代 リーダーズストーリー』に、九州電力株式会社の特別顧問である瓜生道明氏が出演した。瓜生氏は1975年に入社後、2012年に代表取締役社長に就任。番組では、東日本大震災後の厳しい社会情勢の中で社長の重責を担った当時の心境や、失われた信頼を回復するために奔走した日々について赤裸々に語った。技術者から経営トップへと上り詰めたリーダーが明かす、組織改革の裏側。そこには地道な対話と発信を続ける、不屈の信念があった。

役員にはなりたいと思っていた

1975年(昭和50年)に九州電力へ入社した瓜生氏。キャリアのスタートは技術系の機械担当として、火力発電所の3交代勤務オペレーターからであった。その後、本店の企画部門で新規発電所の建設計画や、運用シミュレーションのプログラム開発など、幅広い業務を経験。

着実にキャリアを重ねていった瓜生氏だが、2012年の社長就任は自身にとって想定外の出来事だったと明かしている。瓜生氏は、「基本的にですね、この会社に入ったら役員にはなりたいなと思ってましたが、社長になるとは思ってなかったです」と当時の率直な心境を吐露。

その理由として、「優秀な人間いっぱい、人材はいくらでも横にたくさんいましたから、彼らが社長は務まるかなという人はいくらでもこういたんで、私はワンオブゼムかなと思ってたんですけどね」と、周囲の優秀な人材の存在を挙げ、自身がトップに立つとは考えていなかったようだ。

焼け石を拾いに行くような覚悟

瓜生氏が社長に就任した2012年当時、九州電力は極めて困難な状況に直面していた。東日本大震災以降に発覚した、いわゆる「やらせメール問題」によって顧客からの信頼は大きく損なわれていた。さらに問題は外部だけでなく、社内にも存在。瓜生氏は「実は社員の皆さんと経営層との間の信頼関係も実は毀損していた」と語り、内外で信頼が失墜していた事実を指摘する。

加えて、各部門が独立会社のように振る舞い、連携や情報交換を怠るセクショナリズムも大きな課題であったと振り返る。この絶体絶命ともいえる状況での社長就任を、瓜生氏は「本当にですね、焼け石を拾いに行くような覚悟で実は、社長業を始めたのが最初ですね」と表現した。

その言葉の真意について、「栗は冷えれば食えますけども、石は冷えても食えないんで、本当に努力するしかないなという、そういうような環境だったですね」と続け、生半可な覚悟では乗り越えられない難局であったことをにじませている。

現場との対話と『週刊瓜生通信』

社長としてまず瓜生氏が取り組んだのは、現場の社員との徹底したコミュニケーションであった。当時存在した全54の営業所すべてに自らの足で赴き、社員と直接対話する機会を創出。大人数では本音が出にくいと考え、10人ずつの少人数グループに分けた「スモールミーティング」を重ね、「皆さんの力で頑張ってこの九州電力をもう1度再構築しようじゃないか」と訴え続けたという。

さらに、物理的な訪問と並行して『週刊瓜生通信』と名付けた社内放送を開始した。これは週に一度、15分間の番組で自身の仕事内容や会社の進むべき方向性についてメッセージを発信し続けるもので、「今、我々の会社はどっちの方向に動こうとしてるということを皆さんにずっとメッセージを流し続けたんです」と、その意図を説明。この地道な取り組みは153回にも及び、大きな効果を生んだ。

「大体社長の顔なんて入社式以外見たことないのが、いつも社内テレビで見てるんで、親近感がわいて皆さんいろんな話をしてくれるようになったんです」と語り、トップ自らの発信が社員との距離を縮め、風通しの良い組織風土を醸成する一助となった。番組の最後では、長く続いたトンネルの先にかすかな光を感じた瞬間として「原子力の再稼働」を挙げたところで、トークは締めくくられた。

※この記事はPodcast番組をもとにAIを用いて自動生成されたもので、誤った情報や不完全な記述を含む可能性があります。正確性や品質は保証されませんので、必要に応じて他の情報もあわせてご参照ください。