玉木正之氏、WBCの知られざる歴史と米国の圧力を激白
スポーツ文化評論家の玉木正之氏がラジオ番組に出演し、大谷翔平選手のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)出場宣言に沸く中、その華やかな舞台の裏に隠された知られざる歴史と、日本が直面してきた数々の障壁について持論を展開した。
WBCの権威と歴史的背景
番組では、大谷選手の出場に熱狂する一方で、「大事なのはペナントレース」という声もある現状に触れ、玉木氏は「WBCっていうのはいまいち権威が認められてないな」と大会の現状を分析する。
その歴史はまだ浅く、1896年の第1回アテネ五輪が13カ国、FIFAワールドカップも当初13カ国で始まった歴史を例に挙げ、WBCも発展途上の大会であるとの見解を示している。
日本発案から米国主導へ、WBC誕生の裏側
続けて玉木氏は、「これWBCが一番最初に言い出しっぺは日本だっていうのはご存知ですよね」と、多くの人が知らない大会誕生の裏側を解説。
元々、20世紀の終わりに「社会人野球の父」と称された山本英一郎氏が、日米の王者が対決する「スーパーワールドシリーズ」の開催でMLBと合意していたという。
しかし、この構想は2001年のアメリカ同時多発テロで頓挫。その後に、「うやむやになっちゃった後にWBCを行いますというのを、メジャーリーグとメジャーリーグの選手会が突然言い出したんですね」と、日本発の計画が消えた後、MLB主導で現在のWBCが立ち上げられた驚きの経緯が明かされた。
米国の圧力と手探りの初回参加
MLB主導で突然始まったWBCに対し、日本は当初、選手のコンディションを理由に不参加を表明していた。ところが、アメリカ側は強硬な姿勢を見せたのである。玉木氏によると、日本に対し「もしも出ないならば、それでWBCの興行が失敗した場合は、経済的損失を要求するって言われちゃったんですね」という、信じがたい圧力をかけてきたという。
この理不尽な要求でやむなく参加した日本は、見事に初代王者に輝くという痛快な結果を残す。しかし、当時の選手たちは大会の位置づけに戸惑っており、イチロー選手が他の選手に「ねえねえ、本気でやるの?」と聞いて回っていたというエピソードで、当時の手探り状態の雰囲気を振り返った。
スポンサー料巡る対立と新井監督の奮闘
WBCを巡る日本とMLBの対立はその後も続き、第3回大会前には選手会が不参加を表明する事態に発展する。原因は、日本代表チームが集めたスポンサー料が全てMLB側に渡るという不公平な契約。この仕組みに「そんな馬鹿な話ないだろう」と声を上げたのが、当時選手会委員長を務めていた新井貴浩氏(現・広島監督)であった。
新井氏は「日本のチームに対するスポンサーは日本チームでもらってもいいはずだ」と強く主張し、粘り強い交渉の末、日本の権利を勝ち取った。この奮闘があって、ギリギリでの大会参加が決まったのである。
アメリカ中心主義への警鐘と今後の展望
最後に玉木氏は、現代的な課題にも言及。国民的関心事にもかかわらずペイテレビでしか視聴できない問題について、「ユニバーサル・アクセス権」の観点から疑問を呈した。
WBCはWBSC公認大会でありながら、実態はアメリカ中心主義が根強いと指摘。その背景を「単なる力関係です」と断言し、問題の根深さを強調する。
そして今後の展望として、「日本と韓国と、それこそ中国と台湾と、それからオーストラリアぐらいと一緒になって、メジャーリーグに対抗するぐらいの組織になっていってほしいですね」と、アジア諸国が連携して野球界の勢力図を変える必要性を提言し、議論を締めくくった。
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