ゴリけん、八咫烏の謎を解明!蹴鞠との繋がり
お笑い芸人のゴリけんがパーソナリティを務めるPodcast番組「ゴリけんの諸説あります!」にて、サッカーの意外な歴史が語られた。2026年に開催されるワールドカップを前に、観戦がより一層楽しくなるであろう豆知識を披露。学校の教科書には載っていない、スポーツと歴史の意外な繋がりが明かされている。
サッカーの起源は中国の蹴鞠
番組は「サッカーの発祥って、どこだと思います?」という、ゴリけんからの問いかけで始まった。多くの人が思い浮かべるイングランド説は19世紀に競技化されたものであり、それ以前には「元々は結構ね、怖い遊びだったっていうのもね、生首を蹴って遊んでたみたいな」と、中世の物騒な逸話もあったと紹介。
しかし、ゴリけんが提示したのは全く異なる説であった。「2004年、そのFIFAですね、がある国をサッカーの発祥地であるっていうふうに言ったところがあるんですよね」と前置きし、その国が「これ実はね、中国」であると明かすと、共演者からは「中国?へえ」と驚きの声が上がった。
その起源は紀元前300年、漫画『キングダム』で描かれる春秋戦国時代にまで遡る。当時、「斉」という国で行われていた「蹴鞠(しゅうきく)」こそがサッカーのルーツであり、1チーム12人で球を奪い合いゴールに入れるという、現代サッカーに近いルールが存在していたと説明した。
大化の改新のきっかけは蹴鞠
話は日本の歴史へと移る。日本でも7世紀半ばの平安時代に「蹴鞠(けまり)」が流行したが、そのルールは中国のものや現代サッカーとは大きく異なっていた。「8人で枠ん中でできるだけ長くこう蹴り続けるっていうね。で、1人当たり3回以上蹴って相手に渡すっていう」とゴリけんが解説。それは勝敗を競うよりも、ボールを地面に落とさずにパスを回し続けるリフティングのような、協調性が求められる雅な遊びだったのである。
さらに、この蹴鞠が日本の歴史を大きく動かすきっかけになったという驚きの説を展開。後の天智天皇となる中大兄皇子と、藤原氏の祖である中臣鎌足の出会いの場面だ。「中大兄皇子が履いてたその靴がね、すっぽりこの蹴鞠の時飛んで行ったんですよ」と語り、その靴を中臣鎌足が拾ってあげたことから二人は意気投合。
これが、後の「大化の改新」につながる蘇我氏打倒の密談の始まりであったとされている。歴史的事件の裏に、蹴鞠を通じたコミュニケーションがあったという事実に、スタジオは感心しきりの様子となった。
平安のスター選手と八咫烏の真実
当時の蹴鞠界にも、現代のスター選手のような存在がいたとゴリけんは続ける。その名は藤原成通(ふじわらのなりみち)、ゴリけんは彼を「キング成り」と命名。「キングカズみたいな」という合いの手に頷きながら、成通が天才的なプレイヤーであったことを力説する。その超人ぶりを示す逸話として、「当時の清水寺の階段もこう蹴鞠を蹴りながら登って行ったっていうね」という伝説を紹介。さらに、難しい球が来ても涼しい顔で対処する「のどか蹴り」といった優雅な技も存在したと語った。
そして話は、サッカー日本代表のユニフォームに描かれたエンブレムの謎へと迫っていく。このキング成りが、蹴鞠の上達を願って50回以上も参拝したのが、和歌山県にある熊野神社であった。ゴリけんは「ヒントはユニフォームですね。日本代表の」と前置きし、その神社に祀られているのが、あの「八咫烏(やたがらす)」であると明かした。
「そういうキング成り、いわゆるスター選手が、その蹴鞠上達のためにお参りに行ってたのがここだ。そこで祀られてるのが八咫烏」という解説に、共演者も「すご!いいでしょ」と興奮を隠せない。平安時代のスーパースターが信仰した神社のシンボルが、時を超えて日本代表の胸に輝いているのだ。ゴリけんは「ワールドカップを見る前に。ね。ハーフタイムにこれぜひ話してほしい」と締めくくり、歴史ロマンあふれる知識で番組を盛り上げた。
※この記事はPodcast番組をもとにAIを用いて自動生成されたもので、誤った情報や不完全な記述を含む可能性があります。正確性や品質は保証されませんので、必要に応じて他の情報もあわせてご参照ください。