元警察官僚のにしけい会長、ペルー事件の壮絶現場を語る

2025年12月15日

RKBラジオの番組に、株式会社にしけいの取締役会長を務める折田康徳氏が出演し、自身の壮絶なキャリアと知られざる過去を語った。株式会社にしけいは、福岡空港の保安業務や、福岡ソフトバンクホークスの優勝パレード、各種マラソン大会といった大規模イベントの警備を手掛ける九州の総合警備会社である。折田氏が率いる同社は、私たちの日常に安全と安心を提供している。

警察庁キャリアを選んだ意外な動機

番組では、折田氏の輝かしい経歴が明かされた。父親が転勤族だったため少年時代は熊本や香川などを転々としたが、東京大学の法学部へ進学。在学中に国家公務員上級職試験に合格し、昭和54年に警察庁へキャリアとして入庁したという華々しい過去を持つ。

警察官僚という道を選んだ理由を問われると、折田氏は「私自身が制服が好きだったんじゃないでしょうか」と、意外にも純粋な憧れが原点であったことを告白。

採用試験合格後も、様々な省庁の中から真っ先に当時の防衛庁と警察庁を訪問したといい、「希望したところに入れたなというのが私の気持ちです」と当時を振り返った。警備会社のトップとして「制服組」を率いる現在地は、まさにその信念が結実した姿といえるだろう。

ペルー人質事件、緊迫の半年間を激白

折田氏のキャリアにおいて最も壮絶な経験が、警察庁の国際テロ対策室長時代に遭遇した「在ペルー日本大使公邸占拠事件」である。テロリスト集団がパーティー開催中の日本大使公邸を襲撃し、最終的に約80人の要人が人質となったこの事件は、世界史にも刻まれる大事件となった。

折田氏は日本政府の対策本部の一員として現地に派遣され、約半年間にわたり事件解決に従事。その任務は「現地の治安機関とのやり取り」という、まさに最前線の重要な分野を担うものであった。当時の心境については、「それはもう毎日、ある意味緊張はしていましたし」と多くを語らなかったが、その言葉の重みから筆舌に尽くしがたい日々だったことがうかがえる。

この未曾有の事件は、最終的にペルーの特殊部隊による突入作戦で終結を迎えた。折田氏によると、この作戦は「世界では稀に見る成功事例」と高く評価されており、人質の死者は1名に抑えられたという。

「それはやはりペルーの特殊部隊の優秀さを証明したんだろうなと思います」と、作戦を成功に導いた現地の部隊を称賛した。100人規模の死者が出てもおかしくなかった状況を乗り越えられた裏には、緻密な情報戦と関係機関との強固な連携があったことは想像に難くない。

輝かしい経歴と壮絶な現場を経験してきた折田氏だが、現在はジョギングを趣味とし、日々の健康維持を大切にしている。実は高校、大学時代は陸上部に所属した短距離選手だったというアスリートな一面も持つ。激動の時代を駆け抜けてきたリーダーは今、穏やかに心身を整えながら、九州の安全と安心を見守り続けている。

※この記事はPodcast番組をもとにAIを用いて自動生成されたもので、誤った情報や不完全な記述を含む可能性があります。正確性や品質は保証されませんので、必要に応じて他の情報もあわせてご参照ください。

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