沢田研二から美空ひばりまで、昭和を彩った名曲の裏側

2025年12月26日

2025年、昭和100年と戦後80年の節目を迎えた。RKBラジオの番組『学ぼう!社会のカギ』では、元『サンデー毎日』編集長の潟永秀一郎氏が「この歌詞がすごい」と題した企画で、昭和を代表する4人の歌手とその名曲に隠された秘話を明かした。沢田研二から美空ひばりまで、今なお輝きを放つ楽曲の知られざる物語である。

沢田研二、男の強がりとダンディズム

最初に名前が挙がったのは、「ジュリー」の愛称で一世を風靡した沢田研二だ。潟永氏は、日本のロック黎明期であるグループサウンズブームの象徴的存在としてジュリーを紹介。斬新なステージパフォーマンスで、演歌歌手以外で初めて紅白歌合戦の大トリを務めたカリスマであった。

取り上げられたのは昭和52年の『勝手にしやがれ』。作詞家・阿久悠が手がけたこの曲について、潟永氏は「キーワードは『かっこつけさせてくれ』で、今はあまり言われることもなくなったダンディズム、男の強がりがテーマですよね」と分析する。

去りゆく恋人に背を向けながらも、寂しさを紛らわすために朝まで踊り続ける男の未練とやせ我慢。そんな昭和の男の美学を描いたこの曲は日本レコード大賞を制し、その年の視聴率は50.8%という驚異的な数字を記録した。

山口百恵、アンサーソングに込めた想い

続いては、70年代を代表する伝説のアイドル、山口百恵。わずか7年の活動で引退し家庭へ入った選択もまた「昭和的」だと潟永氏は語った。彼女の楽曲から選ばれたのは、昭和53年の『プレイバックPart2』であった。

驚くべきことに、この曲は沢田研二の『勝手にしやがれ』に対するアンサーソングとして作られていたという。歌詞は、部屋を出て行った女性の視点で展開。「馬鹿にしないでよ」と口走った後、ゆうべの自分の捨て台詞を「プレイバック」する主人公。そしてラジオから流れる「勝手にしやがれ」に彼から言われた言葉を思い出す。強がりな彼の寂しがり屋な一面を理解し、「あなたのもとへプレイバック」する決意が描かれている。

坂本九、空を見上げる希望の歌

3人目は、日本人で初めて全米ビルボード1位を獲得した坂本九。潟永氏は、昭和60年の日航機墜落事故から40年という節目であることも選出理由の一つだと明かす。紹介されたのは、代表曲『見上げてごらん夜の星を』である。

この歌は元々、定時制高校で学ぶ苦学生を励ますミュージカルの主題歌で、作詞は永六輔、舞台美術は『アンパンマン』の作者やなせたかしが担当。永六輔の孫の言葉を借り、潟永氏は「根底には弱い立場の人を励ますというテーマがある。(中略)悩みや苦しみの小ささに思い至り、視野が開けることもあるのではないか」と歌のメッセージを解説する。事故後、森進一が涙ながらにこの歌を熱唱した伝説も、歌の力を物語る。

美空ひばり、命を燃やした最後のステージ

そして、企画の大トリを飾ったのは、歌謡界の女王・美空ひばり。遺作となった平成元年の『川の流れのように』には、壮絶な物語が秘められていたという。作詞は秋元康が手がけ、ひばり自身の強い希望でシングルカットされたこの曲は、昭和の終わりを象徴する一曲となった。

ひばりと福岡には深い縁があり、生涯最後のステージは福岡県小倉市であった。重い病状を抱えながら東京ドーム公演を敢行し、その後のツアー初日、小倉公演は周囲の猛反対を振り切りヘリで移動してステージに立った。潟永氏は「楽屋で控えたお医者さんからは、『吐血したら終わりだ』と言われながら、まさに命がけの公演をやり遂げたんです」と、鬼気迫る当時の状況を伝える。

自ら「私の人生の歌だ」と語り、命を燃やして歌い切ったひばりの生き様そのものが刻まれたこの曲の重みを、改めて語り締めくくった。

※この記事はPodcast番組をもとにAIを用いて自動生成されたもので、誤った情報や不完全な記述を含む可能性があります。正確性や品質は保証されませんので、必要に応じて他の情報もあわせてご参照ください。