黒田官兵衛も関与?障子ケ岳城の真実

43|【障子ケ岳城】九州征伐の前哨戦の舞台に。障子ケ岳城の歴史に迫る
西日本新聞 戦国山城Podcast
11分32秒2026年1月24日

西日本新聞社が配信する音声番組『西日本新聞 戦国山城Podcast』で、福岡県内に点在する戦国時代の山城の魅力が語られた。進行を務める同社メディア戦略局の横山智徳、「鹿之介」の愛称で知られる販売部の中山紘一郎に加え、今回は郷土史家の清田進が出演。福岡県香春町と赤村にまたがる障子ケ岳城(しょうじがたけじょう)跡を巡り、その歴史の深層に迫っている。

味見峠の由来にまつわる諸説

一行がまず訪れたのは、登山口にあたる味見峠。そのユニークな地名の由来について、早速議論が交わされた。案内板には、豊前海から運ばれた魚介類の鮮度をここで「味見をした」という説や、宇佐神宮の神人であった「味酒(あじむし)氏」が支配していたという説などが記されている。

諸説飛び交う中、中山は「やっぱりあの、味酒とかね、信頼できそうな感じ。私の私見でございます」とコメント。歴史ロマンあふれる地で、早くもトークは熱を帯びる展開となった。

築城伝説と豊臣軍による改修

いよいよ障子ケ岳の登山を開始した一行は、城の歴史について本格的な解説をスタートさせた。障子ケ岳城は、室町幕府を開いた足利尊氏の命で築かれたという伝説が残るが、中山はこの説を一蹴。「こんなのもほとんど眉唾だろうと」と指摘し、城郭の構造に織田・豊臣時代の築城術が見られることから、伝説は後付けの可能性が高いとの見方を示した。

この城が歴史の表舞台に登場するのは、天正14年(1586年)からの豊臣秀吉による九州平定の時期である。もともとは豊臣に反抗する島津方の高橋元種の居城だったが、その後、黒田官兵衛や小早川隆景ら豊臣軍によって接収されたのだ。

敵を囲むための「付城」だった?

中山らは、この城の真の役割について驚くべき説を語った。障子ケ岳の尾根沿いに点在する多数の郭(くるわ)は、高橋元種が築いたものではなく、豊臣軍が城を接収した後に築いた「付城(つけじろ)」、すなわち敵を攻めるための前線基地だったのではないかという。その目的は、西側に位置する敵の拠点・香春岳城を包囲するためであった。

「高橋元種をやっつけた後、豊臣方であります小早川、吉川、黒田がですね、障子ケ岳の両線上に郭を展開しまして」「香春岳城を囲むためにですね、いくつもこの郭を構えてるんではないか」と中山は熱弁。

この説を裏付けるように、郷土史家の清田が「元々島津側だったお城を豊臣方の城として改修して、取り囲んだという形ですね」とまとめると、中山は力強く「そういうことです」と応じ、歴史の裏側に隠された官兵衛らの壮大な戦略を紐解いてみせた。一行は、春には桜並木が美しいという登山道を進み、さらなる発見を求めて山頂を目指した。

43|【障子ケ岳城】九州征伐の前哨戦の舞台に。障子ケ岳城の歴史に迫る
西日本新聞 戦国山城Podcast
11分32秒2026年1月24日

※この記事はPodcast番組をもとにAIを用いて自動生成されたもので、誤った情報や不完全な記述を含む可能性があります。正確性や品質は保証されませんので、必要に応じて他の情報もあわせてご参照ください。