Podcast『マンガ760』、日常で使う漫画の名セリフ特集で白熱
パーソナリティのさじま氏、にわ氏が様々な漫画の魅力を語るPodcast番組『マンガ760』にて、「みんなのつい使ってしまう漫画・アニメのセリフ・日常編」と題した企画が放送された。リスナーから寄せられた珠玉の名セリフ活用術に、スタジオは爆笑と共感、そして時ならぬ激論に包まれた。
「その昔、私と彼は一つであった」で友人号泣?
まず紹介されたのは、『ドラゴンボール』に登場する神様のセリフ「その昔、私とピッコロは一つであった」というもの。あるリスナーは、異性との関係性を詳しく聞かれた際に説明が面倒で、「その昔、私と彼は一つであった」とごまかすのに使っていたと告白した。
しかしある日、友人の女性にこのセリフを放ったところ、「ちゃんと教えてよ」と泣かれてしまい、それ以来セリフを封印しているという。投稿の最後は「これが私なりの魔封波です。(ドヤ顔)」と締められており、パーソナリティを笑わせた。
このエピソードに対し、さじま氏は「ほんまにその昔、ビッグバンとかまで遡ると、きっとみんな一つやったから」と、壮大なスケールで投稿者を擁護する。一方、にわ氏は「めんどくさいやつやん、ただ単に」「他の友達が見過ごしてくれてただけやで」と冷静にツッコミを入れるなど、早速スタジオの意見が割れる展開となった。
家庭内不和?「あんまりだー」と叫ぶ夫の悲哀
続いて、家庭のリアルな一幕が垣間見えるお便りが紹介された。それは『ジョジョの奇妙な冒険 第2部』に登場するエシディシのセリフ「あんまりだー」を使うというものである。投稿者であるナッパさんは、怒りで我を忘れそうになった時、心の中でこのセリフを叫ぶことで冷静さを取り戻しているそうだ。
その具体例として挙げられたのが、朝の弁当作りにまつわる悲劇。おかず作りを投稿者が、弁当箱への詰め込みを妻が担当する役割分担にもかかわらず、ある朝、自分の弁当だけが用意されていなかったという。妻に問いただすと、「はあ?私だって朝は忙しいんだからね」と逆ギレされてしまったそうで、その理不尽さに心の中で「あんまりだー」と叫んだと語った。
この熱量あふれるお便りは、文字数オーバーで惜しくも「失格」と判定されたが、その内容を巡ってパーソナリティの議論が白熱。にわ氏が「それはもう怒ろうよ」と投稿者に同情する一方、さじま氏は「僕は奥さんの味方ですよ」と宣言し、夫婦間の問題の根深さを説くなど、トークは思わぬ方向へと発展している。
コードギアス名言の独自解釈「最大の感謝の言葉」
物騒なセリフを感動的な使い方に昇華させたエピソードも登場した。『コードギアス 反逆のルルーシュ』の主人公ルルーシュが放つ「ボロ雑巾のように捨ててやる」というセリフである。
投稿者は、穴の空いた靴下や古くなったタオルなど、布製品を処分する際にこのセリフを口にするという。しかし、ただ捨てるのではなく、「今までありがとう」という感謝の言葉を添えるのがポイントだ。
投稿者はこの行為について、「『ボロ雑巾のようになるまで散々使い倒してやる』つまり最後までしっかり使い切ったという宣言だとすれば、物に対しては最大の感謝の言葉だということに気づいた」という独自の解釈を披露。これにはパーソナリティも感心しきりの様子で、この話から二人の「布製品がなかなか捨てられない」という共感トークに発展していた。
セリフか否か?DBベジータの挨拶で大激論
この日、最も議論を呼んだのが、セリフの定義そのものを問うお便りであった。『ドラゴンボール』でベジータが見せる、腕を組み人差し指と中指を立てるポーズを、夫婦間の挨拶として使っているというのだ。投稿者は「言葉こそないものの、お互いを認め合った戦士同士のコミュニケーションツールとして立派に機能しております」と、その有用性を力説する。
しかし、発話がないことから、にわ氏が「セリフではない」と指摘すると、さじま氏が猛反論。「ボディランゲージじゃないですか」「それを言葉じゃないっていうのは、にわさんのなんかこう、おごりな気がするね」と主張し、議論は紛糾。
最終的に「要審議」という結論に至った。さじま氏は擬音の「スチャッ」という響きを気に入り、番組の締めでも使用するなど、この日のハイライトとなっている。
番組ではこの他にも多数のセリフが紹介され、次回は「仕事編」が放送されることが告げられた。
※この記事はPodcast番組をもとにAIを用いて自動生成されたもので、誤った情報や不完全な記述を含む可能性があります。正確性や品質は保証されませんので、必要に応じて他の情報もあわせてご参照ください。