サンデー毎日元編集長が警鐘、日本の80年周期説と迫る危機
元サンデー毎日編集長の潟永秀一郎氏が、ラジオ番組に出演。2025年を目前に控え、日本社会が直面するかもしれない危機について、自身が提唱する「80年周期大変動説」を基に警鐘を鳴らした。潟永氏は「この年末、危機感を呼び覚まされるような出来事が続いている」と述べ、改めてこの説について語る機会を設けたと説明した。
警鐘を鳴らす「80年周期大変動説」
潟永氏が唱える「日本社会の80年周期大変動説」には、2つの大きな理由があるという。一つは、巨大地震や火山噴火といった大災害の周期性だ。この説の源流は、第5代気象庁長官・高橋浩一郎氏の研究にあると説明。1703年の宝永大地震と富士山噴火から始まり、約80年後の1783年には浅間山が大噴火。
さらにその80年後には、安政東海地震などを経て明治維新が起こった。そして直近の大変動が、80年前の敗戦である。この時も1944年の昭和東南海地震など、大地震が相次いでいたことを指摘した。
それから80年を迎えようとする現在、能登半島地震や青森県東方沖の地震が発生し、「自然が警鐘を鳴らしていると受け止めています」と神妙に語った。南海トラフ巨大地震や首都直下型地震の発生確率も高まっており、「大掃除よりもこちらを優先していただければ」と、防災への備えを強く呼びかける。
願望にすがりついた指導者たちの過ち
もう一つの理由は、「忘却」という人の問題である。80年も経つと苦難の経験が風化し、同じ過ちを繰り返しがちになるというのだ。その最もたる例が、80年前の太平洋戦争であった。
当時、国が設置した総力戦研究所は、日米が開戦すれば「必ず負ける」という結論を出していた。しかし、東條英機陸軍大臣(当時)は「それはあくまで研究だ」として、真珠湾攻撃に踏み切ったのである。潟永氏は、毎日新聞の栗原俊雄専門記者の取材を引用し、当時の終戦構想がいかに願望に基づいたものであったかを明らかにした。
その構想について、作成に関わった元陸軍官僚はノンフィクション作家の保阪正康氏に対し、「『考えてみればむちゃくちゃな話で、願望みたいな内容の腹案を作るしかなかった』と明かした」という。
結果は研究所の想定通りとなったが、軍部はこの蜃気楼のような構想に固執。沖縄戦で敗北した後もソ連の仲介という幻想にすがり、降伏が遅れたことで広島・長崎への原爆投下やシベリア抑留といった悲劇が拡大したと、痛切な思いを吐露した。
「新しい戦前」にすべきでないと訴え
潟永氏の視線は、現代へと向けられる。「歯止めなく軍事費が伸びる新しい戦前が始まっているんじゃないでしょうか」と、現在の日本の状況に強い懸念を示した。
台湾有事を例に挙げ、仮に中国が軍事侵攻した場合、同盟国であるアメリカがどう動くかは不透明だと指摘。ある防衛省関係者が「正直今のトランプ政権は分からない」と語っていることを紹介し、「同盟の拳を振り上げても、はしごを外されかねない」というのが現実だと分析する。
その上で、東アジアの平和を維持する道は軍事力ではなく、協調外交によってどの国も軍事行動を起こさせない状況を作り出すことしかないと断言。「今、総力戦研究所を立ち上げても同じ結論が出るんじゃないか」と力を込めた。
最後に、戦争を繰り返さないために、栗原専門記者の「戦争をしない、それこそが最大の安全保障であり、政治の大きな責務でもある」という言葉を紹介し、「『80年変動説って1945年が最後だったんだね』と言われる日が来ることを、私心から願っています」という言葉で締めくくった。
※この記事はPodcast番組をもとにAIを用いて自動生成されたもので、誤った情報や不完全な記述を含む可能性があります。正確性や品質は保証されませんので、必要に応じて他の情報もあわせてご参照ください。