立川生志・誕生日が同じベートーヴェンの「第九」秘話に感銘

2025年12月19日

ラジオ番組「立川生志金サイト」で落語家の立川生志が、毎日新聞出版の山本修司社長とコーナーを展開した。12月16日が誕生日の生志は、同じ日に生まれた作曲家ベートーヴェンにちなみ、年末の風物詩である交響曲第9番、通称「第九」をテーマにトークを展開。知られざる歴史や音楽にまつわる深い話が次々と飛び出す放送となった。

誕生日を祝われ共演者にチクリ

山本社長から「心よりお祝い申し上げます」と達筆な文字で書かれた誕生祝いのハガキが届いたことを明かした生志。感激しきりの様子で、「この番組いろいろやってていろんな人関わってますけど、山本さんだけです、これ言ってくれたの。毎週顔合わせてるこいつら、何にも言わねえからね」と、共演者にはユーモアを交えてチクリ。この温かいやりとりから、番組の本題へと続いていく。

日本初演は福岡、意外な縁

年末の風物詩として定着している「第九」だが、その日本初演は意外な場所が舞台であった。山本社長によると、日本で最初に第4楽章が演奏されたのは1924年(大正13年)。当時の皇太子(のちの昭和天皇)の成婚を祝う演奏会で、九州帝国大学フィルハーモニー会が披露したという。笑止ゆかりの地である福岡との縁に驚きの声が上がる中、本人は「ゆかりの福岡で、九州大学にはゆかりないんですけどね」と返し、笑いを誘う一幕も。

政治に翻弄されたクラシック音楽史

話題は、音楽と政治の複雑な関係に及んだ。戦時中の日本では、敵国である米英の音楽が禁止される一方、同盟国ドイツの音楽は許されていたという。そのため、バッハやベートーヴェンは戦時下でも聴くことができたと山本社長は解説する。

一方で、ナチス協力の疑いをかけられた指揮者や、体制下で苦悩したショスタコーヴィチの例を挙げ、音楽家が政治に翻弄されてきた歴史を紹介。「音楽家も従ったふりをしながらしたたかに生きてたという面もあった」とそのしたたかさにも言及した。

有名すぎることが招く意外なジレンマ

あまりに有名であることが、かえって敬遠されるという現象もあるという。山本社長は、有名CMで使われるショパンの曲が、ピアノの発表会で「『なんとか遺産』って言われるのが嫌」と生徒に避けられることがあると語る。

ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』も同様で、過去にオーケストラ部の友人が「とってもいい曲なのに、ちょっと知られすぎていてやりにくいんだよね」と漏らしていた思い出を回想。名曲ならではの意外なジレンマが存在する。

苦難から生まれた「歓喜の歌」の力

しかし、「第九」はそうした現象とは無縁だという。その理由を山本社長は、シラーの詩に込められた「歓喜」という普遍的なメッセージが、多くの人の共感を呼ぶからだと分析した。

さらに、ベートーヴェン自身が聴力をほぼ失い、病気を抱えるという絶望的な状況下でこの大曲を生み出した背景を紹介する。困難な時代だからこそ、この曲が持つ「喜び」という主題を胸に年末年始を迎えたいと語り、その不朽の力に思いを馳せた。

「落語界の第九」でトークを締め

深い話に感銘を受けた生志は、自身の持ちネタである古典落語「芝浜」が、師走に演じられることから「落語界の第九」と呼ばれていると豆知識を披露。音楽界と落語界、それぞれの年末の風物詩を重ね合わせ、トークは幕を閉じた。誕生日をきっかけに広がった「第九」の奥深い世界は、リスナーにとっても大きな発見となったことだろう。

※この記事はPodcast番組をもとにAIを用いて自動生成されたもので、誤った情報や不完全な記述を含む可能性があります。正確性や品質は保証されませんので、必要に応じて他の情報もあわせてご参照ください。