観客激減の危機から生まれたDH制 その歴史
- セ・リーグも採用することになったDH制
- スポーツ文化評論家・玉木正之のCatch Up
- 14分24秒2026年10月21日
ポッドキャスト番組「スポーツ文化評論家・玉木正之のCatch Up」にて、スポーツ文化評論家の玉木正之が指名打者(DH)制の起源や、かつて起きた驚きの珍事件を明かした。
観客激減の危機から生まれたDH制
玉木は、DH制を考案したのは米大リーグ・アスレチックスの名物オーナーだったフィンリーだと紹介。1972年、観客動員が激減したアメリカン・リーグの危機打開へ打ち出した奇策だったという。
当初は批判を浴びたものの、導入後は打率や投手の完投数が劇的に向上。日本でも代打世界記録を持つ高井保弘の活躍などを背景にパ・リーグが採用し、徐々に定着していった歴史を解説した。
金田監督の珍指示と待ち時間のゲーム
新制度の導入当初は珍事件も頻発した。ロッテオリオンズの金田正一監督は、守備に就かないDH選手に「体を動かせ」と命じ、攻守交代のたびに外野ポールまで往復ダッシュをさせて観客を困惑させたという。
さらに米国では、守備のない待ち時間に「テレビゲームをやっていた」と暴露。共演の田畑竜介と呆れ笑う一幕もあった。この行為は激しい非難を浴び、意識改革へとつながった。
玉木は「新しいルールになる時はどの国でも非難が起きる」と振り返り、ルールの変遷とともに進化し続ける野球の奥深さを熱く語った。
- セ・リーグも採用することになったDH制
- スポーツ文化評論家・玉木正之のCatch Up
- 14分24秒2026年10月21日
※この記事はPodcast番組をもとにAIを用いて自動生成されたもので、誤った情報や不完全な記述を含む可能性があります。正確性や品質は保証されませんので、必要に応じて他の情報もあわせてご参照ください。