有原航平「背番号74」の衝撃 玉木正之が語る番号の歴史
- 大相撲の懸賞&プロ野球の背番号
- スポーツ文化評論家・玉木正之のCatch Up
- 14分27秒2026年1月14日
スポーツ文化評論家の玉木正之氏が、1月14日に放送されたRKBラジオ『田畑竜介Grooooow Up』に出演。最近のスポーツ界で注目した2つの出来事について独自の視点で切り込んだ。大相撲の懸賞とプロ野球の背番号をテーマに、その背景や知られざる歴史を交えながら熱弁を振るっている。
大相撲の土俵にテレビ局のドラマ懸賞が登場
玉木氏がまず驚きをもって語ったのは、大相撲初場所の土俵にテレビ朝日のドラマ宣伝を目的とした懸賞幕が登場した一件である。これまで企業広告が主だった懸賞に、他局の番組宣伝が現れたことは異例の事態だ。この懸賞について、玉木氏は1本7万円という金額に着目。近年のスポーツ界では数十億円規模の契約が飛び交う中、その額を「可愛らしい額ですね」と表現した。
高騰し続けるアスリートの報酬と比較し、「この額が少ないのに私は正直言って嬉しかった」と、むしろ好意的な見方を示したのである。加熱するスポーツビジネスの現状に一石を投じる発言となった。
その一方で、NHKの報道姿勢には苦言を呈している。横綱・豊昇龍が平幕の錦富士に敗れるという金星があったにもかかわらず、夜のニュース番組でその一番が取り上げられなかったことを問題視。「横綱が負けたと。これはニュースでやらないといけないですね」と強く指摘し、相撲ファンが注目すべき勝負が報じられなかったことへの疑問をあらわにした。
有原航平の背番号74から紐解く背番号の歴史
もう一つの驚きとして挙げたのが、古巣の日本ハムファイターズへの復帰が決まった有原航平投手の背番号だ。入団会見でかつてのエースナンバーではなく「74」という大きな番号を選んだことに、「これからはこういう時代になるのかな」と、選手の価値観の変化や新たな潮流の可能性を示唆した。
ここから玉木氏は、背番号が持つ歴史を深く紐解いていく。その起源は1888年、シンシナティ・レッズが識別のために袖に番号をつけたことにあったと解説。しかし、この試みは選手たちの猛反発を招いたという。「自分たちには名前があるのに、なんだ番号はと」いうプライドから、わずか1年で廃止されたという意外な事実が明かされた。
背番号が球界に定着したのは、それから約40年後の1929年、ニューヨーク・ヤンキースが打順をそのまま背番号として採用したことがきっかけであった。1番打者が「1」、3番のベーブ・ルースが「3」、4番のルー・ゲーリッグが「4」を背負ったこのアイデアは、観客の分かりやすさから好評を博し、他球団も追随。やがて、鉄人ゲーリッグの引退を機に彼の「4」番が初の永久欠番となり、背番号は選手個人の象徴としてファンに愛される特別な存在へと昇華したのである。
松井秀喜の背番号55に隠されたエピソード
背番号にまつわる逸話として、玉木氏は巨人で活躍した松井秀喜選手の「55」番に隠されたエピソードを紹介した。この番号が王貞治氏のシーズン55本塁打に由来することは有名だが、ジャーナリストのロバート・ホワイティング氏が松井選手に行ったインタビューでの一幕を語る。ホワイティング氏は、「なぜ56とつけなかったの?」と、記録更新への野心を示す番号を選ばなかった理由を鋭く質問したそうだ。
これに対し、松井選手は意表を突かれて絶句してしまったという。玉木氏はこのやり取りに強い感銘を受けたと明かし、「私はその時に日本人のジャーナリストもインタビューする時にはそのくらい鋭くやろうというふうに決意を新たにしました」と、自らの信条を新たにしたと締めくくった。
- 大相撲の懸賞&プロ野球の背番号
- スポーツ文化評論家・玉木正之のCatch Up
- 14分27秒2026年1月14日
※この記事はPodcast番組をもとにAIを用いて自動生成されたもので、誤った情報や不完全な記述を含む可能性があります。正確性や品質は保証されませんので、必要に応じて他の情報もあわせてご参照ください。