福岡市西区に奇跡の土塁!都地城の歴史ロマン

41|【都地(とじ)城・福岡市西区】宅地の脇に土塁の名残、堀跡と思われる水路も
西日本新聞 戦国山城Podcast
11分7秒2026年3月3日

福岡県内に1,000近く存在したとされる戦国時代の山城。その魅力を現地探訪を交えて紐解くポッドキャスト番組『西日本新聞 戦国山城Podcast』の最新回(第41回)が配信された。

今回は、お城映像クリエーターの堀切凡夫氏が、福岡市西区の住宅街にひっそりと現存する「都地(とじ)城」の調査報告を行っている。

小学校の数を超える山城が福岡に密集

番組冒頭、MCの横山智徳氏は「現在、福岡県内の小学校の数は約700校。戦国時代の山城の数は、それを上回る」という驚きの事実に言及した。かつての福岡には、至る所に城が築かれていたのである。

今回スポットが当てられたのは、福岡市西区の金武小学校近くにあったとされる「都地城」だ。堀切氏は「行政の報告書で知り、実際に立ち寄ってみた」と出会いを振り返る。現在、現地には案内看板が設置されており、往時の歴史を今に伝えている。

住宅街の角にそびえる「奇跡の土塁」

驚くべきは、現代の街並みに当時の遺構が見事に溶け込んでいる点だろう。

堀切氏によると、大半の遺構は宅地化により消滅しているものの、お洒落なカフェが隣接する宅地の一角に、高さ2~3メートルほどの「土塁」の名残があるという。氏は「知らなければ一般の住宅に見えるが、館跡として見れば見事なコーナー(角)を形成している」と熱く語る。

敷地内への立ち入りは制限されているが、道路沿いからその形状や、堀跡と思われる水路を確認できるという。これについて堀切氏は「現代の宅地開発の改変の中で、奇跡的に残っている場所だ」と高く評価し、歴史ファン垂涎のスポットであることを示した。

京都から下向した都地氏と戦国の動乱

この館を築いた都地氏は、もともと京の都で宮中に奉仕していた一族だ。将軍・足利義輝の命を受けて福岡へ下向し、都地姓を名乗ったとされる。後に小早川隆景の配下として代官を務めた経歴を持つ。

「詳しい資料は少ないが、館跡はこうして守られてきた」と堀切氏は分析している。現在放送中の大河ドラマ『豊臣兄弟!』で描かれるような、戦国の動乱の脅威から身を守るためにも、こうした拠点は不可欠だった。福岡の何気ない日常風景の裏側には、今も戦国時代の息吹が確かに息づいているのである。

41|【都地(とじ)城・福岡市西区】宅地の脇に土塁の名残、堀跡と思われる水路も
西日本新聞 戦国山城Podcast
11分7秒2026年3月3日

※この記事はPodcast番組をもとにAIを用いて自動生成されたもので、誤った情報や不完全な記述を含む可能性があります。正確性や品質は保証されませんので、必要に応じて他の情報もあわせてご参照ください。