放送作家ミラッキ氏の数奇な人生 伊集院光が繋いだ不思議なキャリア

2025年12月3日

放送作家のミラッキ氏が、自身のキャリアの原点について語った。伊集院光のラジオ番組が人生を大きく変えたというミラッキ氏。その「全く再現性がない」と自ら語る、ハガキ職人から放送作家に至るまでのユニークな道のりが明かされた。

伊集院光が変えた二人の人生

ミラッキ氏のラジオとの出会いは、いとこが持ってきた一枚のCDがきっかけだった。それは伊集院光と久保こーじによる企画ユニット「荒川ラップブラザーズ」のもの。「『嘉門タツオもいいけど、これも面白いぞ』って言って荒川ラップブラザーズのCD聴かせてもらって、確かに面白い。『何これ』って言ったら『ラジオなんだよ』と」と、音楽からラジオ番組『伊集院光のOh!デカナイト』にたどり着いたという異色の経緯を振り返る。

聞き手の田野氏も、同番組の生中継で見た中継車に憧れ、「大人になったらこれに乗ろうと思ったんです」という動機で業界入りしたことを告白。奇しくも同じ番組が二人の人生を決定づけていたのである。

ハガキ職人からバンド結成へ

『Oh!デカナイト』終了後、友人に教えられて聴き始めたTBSラジオ『深夜の馬鹿力』に衝撃を受けたミラッキ氏は、高校2年生の終わりからハガキの投稿を開始。すると、すぐに採用され、投稿にのめり込む日々が始まった。当時は大学付属の高校に通っており、「高校3年生の時はもうほとんどね、授業の時間教科書こうやって立ててはがきを書いてる」という熱中ぶり。

その才能は校内でも噂となり、野球部の生徒から「え、君が大村綾子かい」とペンネームで声をかけられるというドラマのような一幕もあったそうだ。このラジオがきっかけで繋がった友人たちと、自主制作のラジオ風テープ作りを開始。そこから発展してバンドを結成し、「ミラッキ」というステージネームが誕生することとなった。

風が吹けば桶屋が儲かる?作家への道

バンド活動を続ける中、ホームページの掲示板に、ある放送作家から「僕も伊集院さんのラジオで読まれていました。対バンをしましょう」とコメントが寄せられた。これが運命の転機となる。その放送作家から後日、「自分の担当してる番組のサブ作家が1人辞めることになっちゃったんで、作家やってみませんか?」と声がかかり、放送作家としてのキャリアがスタートした。

この経緯について、「再現性ないですね」と驚くと、ミラッキ氏も「全く再現できない。私だけの放送作家のなり方」と同意。まさに「風が吹いたら桶屋が儲かるのすごいやつ」と評されるほどの、奇跡的な連鎖であった。

若者へ「ポッドキャストをやれ」

自身の経験から、二人は現代の若者にポッドキャスト配信を強く推奨した。田野氏は特に大学受験のない付属校の生徒に向け、「お前ら大学受験ないんだから、その時間を何かクリエイティブなことに使ってみろ」と熱弁。ミラッキ氏は「今の君が何を思ったかが残っていることが大事なんです」と力説し、記録を残すことの価値を訴えかけた。

その好例として、高校3年生の時に抱いたaccessの楽曲『NAKED DESIRE』の歌詞への疑問が、27年の時を経て番組で本人に直接質問できたというエピソードを披露。「27年前の俺が喜んでますよって話をできた」と語り、過去の自分が未来の自分を豊かにすることの面白さを伝えた。番組では、無駄話も含めて当時の感情や考えを声で残すことの重要性が熱く語られている。

※この記事はPodcast番組をもとにAIを用いて自動生成されたもので、誤った情報や不完全な記述を含む可能性があります。正確性や品質は保証されませんので、必要に応じて他の情報もあわせてご参照ください。

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