「午尻下がり」の悪夢再び?エコノミストが恐れる株価急落
RKB毎日放送のPodcast番組にエコノミストの鳥丸聡氏が出演。2026年の午年(うまどし)にちなみ、過去の午年に九州で何が起こったのかを経済や社会の側面から振り返るトークを展開した。そこでは、九州のインフラや経済の転換点となった意外な事実が次々と明かされることとなった。
九州高速道の意外な幕開け
まず鳥丸氏が注目したのは、60年前の1966年(昭和41年)。この年は九州縦貫自動車道の一部が着工された、九州の高速交通社会における画期的な年であった。
ここで鳥丸氏は「最初に開通したのは、九州7県のうちどこの県だったでしょうか」とクイズを出題。多くの人が福岡県内と予想する中、鳥丸氏は「多くの福岡県民は北九州と福岡間だとか、あるいは太宰府とか鳥栖とか久留米辺りとか思い込んでる。それ間違いで」と前置きし、「正解は熊本県の熊本インターチェンジと植木インターチェンジの間です」と意外な事実を明かす。
当時、熊本市は九州のほぼ中央に位置し、国の出先機関も置かれるなど交通・行政の中心だったことが理由だと解説。高速道路が熊本から北上し、東から延伸してきた山陽新幹線と福岡で合体した1975年が、九州における福岡一極集中の始まりだったと分析する。
渇水が育んだ世界トップ級技術
次に話題となったのは、1978年(昭和53年)。この年は福岡市民にとって忘れられない記録的な渇水に見舞われた年である。鳥丸氏は、南畑ダムが干上がり、「福岡市の給水制限が287日間に及んだ」という当時の深刻な状況を振り返った。
大学が半年間休校になったほどの影響があったものの、この苦い経験が福岡市を大きく変えるきっかけになったと説明する。その後、市はダム開発や筑後川からの受水事業を進め、節水意識を徹底。結果として、福岡市は政令指定都市の中で一人当たりの水使用量が最も少ない「節水型都市」へと変貌を遂げている。今やその技術は海外へも提供されており、鳥丸氏は「まさに、災い転じて福となす」という言葉でその歩みを称えた。
バブル崩壊「午尻下がり」の悪夢
1990年(平成2年)は、九州ではスペースワールドの開業など明るいニュースがあった一方で、日本全体では歴史的なバブル経済崩壊の年として記憶されている。
鳥丸氏は、株式市場の格言である「辰巳天井、午尻下がり」を地で行く展開だったと指摘。当時の日経金融新聞が「年内に5万9000円の声も」と強気な予想を掲載していたことに触れ、「結果は5割上昇とは真逆の4割下落の1年だった」と、その落差を鮮明に語る。
さらに、「あの悪夢のような1年がトラウマとなっている私のような年寄りっていうのは、今の株価を見ていて、36年前の90年とどっか似てるなっていう風に薄々感じている」と、現在の市場に対する自身の見方も吐露した。
W杯で時の人となった村長
記憶に新しい2002年(平成14年)は、日韓共催ワールドカップが開催された年である。九州では大分県が会場の一つとなり、特に山奥の小さな村だった中津江村がカメルーン代表のキャンプ地として一躍脚光を浴びた。
カメルーン代表の到着が大幅に遅れたことで「中津江村」の名は全国区に。鳥丸氏が特にユニークな視点で切り込んだのは、当時の坂本休(やすむ)村長の存在だ。鳥丸氏は、「今の働き方改革を先取りするようなお名前だったと。坂本休さんっていうんですね。休むって一文字ですからね」とその名前の面白さを紹介し、坂本村長が「ワールドカップ(中津江村)」で2002年の新語・流行語大賞を受賞したエピソードを披露している。
締めとして鳥丸氏は、12年ごとの午年を振り返るだけでも九州がダイナミックに変貌してきたことが分かると総括。最後に、「果たして今の私たちは60年後の九州人に何をのこせるんだろうか。まさかおこめ券とかプレミアム付き商品券だとしたら、それはそれで嬉しいけど情けない話じゃないかな」と未来への鋭い問いかけで締めくくっていた。
※この記事はPodcast番組をもとにAIを用いて自動生成されたもので、誤った情報や不完全な記述を含む可能性があります。正確性や品質は保証されませんので、必要に応じて他の情報もあわせてご参照ください。