九州国立博物館20周年、エコノミストが語る未来像
エコノミストの鳥丸聡氏が、開館20周年を迎えた九州国立博物館(以下、九博)の現在地と未来について解説を行った。アジアとの交流史に焦点を当てたユニークな博物館の歩みを振り返りつつ、今後のさらなる発展に向けた私見を述べた。
九州国立博物館のユニークな成り立ち
九博の構想は、19世紀末にまで遡る。鳥丸氏によれば、1899年に日本美術史の大家・岡倉天心が「アジアとの文明の交流史を取りまとめる必要性」を説き、九州での博物館設立を提唱したのが始まりである。しかし、その実現には106年もの歳月を要した。
東京・奈良・京都に次ぐ4番目の国立博物館として2005年に開館した九博だが、その存在意義は他とは一線を画す。他の3館が東京、平城京、平安京といった「首都経験地」に設立されたのに対し、九博は古代の地方政府機関「太宰府政庁」が置かれた地に建設された。鳥丸氏はこれを「いかにも21世紀の地方分権社会を象徴しているようで感慨深い」と評価する。
さらに、美術品に焦点を当てる他館と異なり、「日本文化がアジアとの相互交流によって形成された歴史に重点を置いている」という展示方針も大きな特徴だ。その独自性は、緑の山々を映し出す波打つような屋根を持つ総ガラス張りの建築デザインにも表れているという。
開館ブーム後の入館者数と現在の立ち位置
開館当初の九博は、まさに社会現象であった。2005年の開館から1年間で220万人もの来場者を記録し、文化施設としては驚異的な集客力を示した。その後は年間100万人前後で落ち着いていたものの、コロナ禍で入館者数は激減。昨年度はようやく58万人まで回復したが、まだコロナ前の水準には及んでいない。
この数字について鳥丸氏は、京都国立博物館(60万人)とほぼ同数、奈良国立博物館(42万人)を上回っている点を挙げ、「結構頑張っているっていう評価ができるんじゃないか」と分析した。
しかし一方で、すぐ隣には年間1000万人の参拝者を誇る太宰府天満宮が存在。この圧倒的な立地的優位性を「果たして生かしきれているのかっていうのは、なかなか言い難い状況」と、今後の課題を指摘した。
「稼ぐ文化」への転換、故・鈴木健二氏の教え
「文化は金になりにくい」と言われがちだが、鳥丸氏は文化施設が「稼ぐ」ことの重要性を力説。その根拠として、30年前にインタビューした故・鈴木健二氏(元NHKアナウンサー、熊本県立劇場元館長)との思い出を語った。
当時、「おニャン子クラブのような大衆文化をどう思うか」と尋ねた鳥丸氏に対し、鈴木氏は驚きの答えを返したという。「若手人気歌手のコンサートやアニメの映画放映ってしょっちゅうやってます」と明かした上で、「そういう大衆文化で稼いだお金で、能楽だとか神楽っていう希少な文化を維持していきます。だから稼げないと文化は維持できません」と断言。
この言葉に深く感銘を受けた鳥丸氏は、国立である九博も、広いエントランスホールなどを活用し、「B級の文化で集客するような工夫っていうのがあっても、バチは当たらないんじゃないかな」と、収益性を高めるための柔軟な発想を提言している。
平和の象徴としての役割と未来への期待
番組の終盤、鳥丸氏は「20世紀に国立博物館が1つもできなかった理由」をクイズとして投げかけた。その答えは、日清戦争から第二次世界大戦まで続いた「戦争の時代だったので、文化どころじゃなかった」から。だからこそ、21世紀に開館した九博は「ある意味平和の象徴」なのだと解説した。
鳥丸氏は、台湾有事を巡り政治がぎくしゃくする現代においてこそ、文化の役割は大きいと強調。事実、九博の開館20周年に際し、中国の南京や北京、上海などの博物館からも祝辞が寄せられ、各館のトップが口を揃えて「文化交流を一層深めながら相互理解の新たなページを共に刻んでいけることを願っています」と語っていたエピソードを紹介。
政治的な緊張とは無縁の、平和的な文化交流の様子がそこにはあった。鳥丸氏は「政治とか経済がもたつく今のような時代こそ、文化の出番なんじゃないかな」と語り、九博がアジアの平和をつなぐ架け橋となることへの期待を込めて締めくくった。
※この記事はPodcast番組をもとにAIを用いて自動生成されたもので、誤った情報や不完全な記述を含む可能性があります。正確性や品質は保証されませんので、必要に応じて他の情報もあわせてご参照ください。