日中友好の象徴、トキ「ユウユウ」が遺した絆

2025年12月1日

学術交流や出版事業が中止されるなど、日中関係の重苦しい空気が続いている。

元RKB解説委員長で福岡女子大学副理事長の飯田和郎氏は、自身が籍を置く大学で招聘予定だった中国人研究者が来日中止になったことや、携わっていた日中共同の出版物がキャンセルされた具体例を挙げ、現状を憂いた。

飯田氏は「こんな時だからこそという相互理解や友好に努めようとする人はいるのですが、個人の力ではどうしようもない」と無力感を吐露。

その上で、学生には「たとえある国、国家に良くない印象を持っても、その国の一般の人たちも一括りにしたりとか、相手の国民まで悪い印象で決めつけないようにしよう」と語りかけているという。

そんな厳しい状況だからこそ、飯田氏は一羽の鳥が遺した意義に光を当てた。

日中協力の象徴、トキのユウユウ

11月24日、新潟県の佐渡トキ保護センターで飼育されていたオスのトキ「ユウユウ」が26歳で死んだというニュースが報じられた。ユウユウは、日本の国の特別天然記念物であるトキの、日本初となる人工繁殖によって誕生した一羽であった。飯田氏はこのユウユウの存在を「ある意味の日中協力の象徴と言えないかなと私は思うんですよ」と語り、冷え込む両国関係の中、その生涯が持つ意味を考えるべきだと提起している。

ユウユウの両親は、1998年11月に中国の国家元首として初来日した江沢民国家主席から贈られたつがいの「ヨウヨウ」と「ヤンヤン」である。当時、江主席は宮中晩餐会などで過去の歴史に繰り返し言及し、日本側に反省を求めたことで国内に大きな反発を招いたが、その一方で友好の証としてトキのつがいを日本に贈呈。このつがいこそが、後の日本のトキ復活の礎となった。

絶滅の危機を救ったユウユウの功績

実は、それまで日本のトキの人工繁殖は一度も成功していなかった。野生のトキを捕獲しての交配も、中国との間での個体のやり取りも失敗に終わっていたのである。そんな中、中国側は繁殖経験のある相性の良いペアを選んで日本へプレゼントした。その期待に応えるように、両親が来日してわずか4ヶ月後の1999年5月、ユウユウは佐渡で誕生した。この一羽の誕生が、日本のトキ保護の歴史を大きく転換させる。

ユウユウの誕生を皮切りに佐渡での繁殖は軌道に乗り、数を増やしたトキは自然界へ放鳥されるまでになった。現在では600羽近くが野生で暮らしているという。そしてユウユウ自身も、生涯で68羽もの子孫を残す立派な親鳥となったのだ。日本の空から消えかけていた「とき色」の羽が、再び佐渡の大空を舞う光景の復活。その中心には、ユウユウの存在があった。

トキが教える国境を越えた協力

飯田氏は、中国にしかいないパンダと異なり、トキはかつて東アジア一帯に広く分布していた「エリア全体の宝物」だと指摘する。だからこそ国境を越えて守り、世代をつないでいくことができるという。

ユウユウは死んだが、その血は確かに日本で生まれた子孫たちに受け継がれている。飯田氏は、「ユウユウの両親は中国から日本にやってきたんですよね。ユウユウはその両親から日本で生まれ、ユウユウの子孫も日本で生まれ、今日本の空を飛んでいるわけですよ」とその軌跡を振り返った。

そして、「ルーツが中国のトキが舞う大空には、『日本だ』とか『中国だ』といった狭い感情は存在しないと思います」と力説。相手を非難するだけでは何も生まれないと述べ、「とりわけ日中関係が冷え込む今、日本と中国をつないだトキのユウユウという存在から、私たちが学ぶことは少なくないのではないか」と、その死が投げかけるメッセージの重みを語った。

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