飯田和郎氏「竹槍事件」から現代メディアの役割を問う

2025年12月8日

元RKB解説委員長で福岡女子大学副理事長の飯田和郎氏が、ポッドキャスト番組に出演。12月8日が日本による真珠湾攻撃から始まった太平洋戦争の開戦日であることにちなみ、戦争とメディア、そして現代を生きる我々への教訓について深く語った。

太平洋戦争勃発と当時の報道

番組で飯田氏は、太平洋戦争が1941年12月8日の真珠湾攻撃だけでなく、イギリス領マレー半島への同時攻撃から始まったと言及。その根本的な原因は、10年前に始まった日本の中国東北部占領に端を発する侵略戦争と、それに対し中国からの撤退を求めたアメリカ・イギリスとの対立であったと解説した。

テレビもインターネットもない当時、新聞は絶大な影響力を持っていた。しかし、日本の華々しい戦果は長くは続かず、戦況が悪化するにつれて政府や軍部による言論統制が強化。報道機関は、日本の置かれた厳しい状況を知りながらも、事実とは異なる「連戦連勝」といった内容を報じざるを得ない状況に追い込まれていったのである。

言論統制への抵抗「竹槍事件」

日本の敗色が濃厚となった1944年、報道管制がさらに厳しさを増す中で、ある新聞記事が大きな騒動を招いた。それは同年2月23日付の東京日日新聞(現・毎日新聞)の朝刊に掲載された記事であり、番組ではその一部が紹介された。

「今こそ我々は戦勢の実相を直視しなければならない。戦争は果たして勝っているのか」。記事はそう問いかけ、さらに「敵が飛行機で攻めに来るのに竹槍を持っては戦い得ないのだ」と続けた。これは、米軍機襲来に備え市民に竹槍での迎撃訓練を強いていた軍部の精神論を痛烈に皮肉ったものだ。

歌手の美輪明宏氏も当時を振り返り「だって、竹槍の練習をしていたんですよ。原爆に竹槍、かなうわけがないでしょう」と語っている。この記事に時の首相、東條英機は激怒。執筆した37歳の記者に対し、懲罰的に召集令状を送りつけ二等兵として入隊させた。この一連の出来事は、後に「竹槍事件」として語り継がれることとなった。

現代社会に潜む80年前の危険

飯田氏はこの歴史的な事件を「80年も昔の話、もうこんなことありえないと言い切れるかどうか。私は言い切れないと思います」と、現代社会への警鐘として提示する。

台湾有事を巡る政府高官の発言をきっかけに中国との関係が冷え込む現状を例に挙げ、「一部の世論は中国はけしからんと言い、一部のメディアは中国の脅しに屈するなと総理を応援してますよね」と指摘。

しかし、「相手の土俵に乗っちゃいけないわけですよ」と冷静な対応を促し、「権力っていうのは暴走するわけですよ」と強い口調で語った。さらに、現代の中国はかつての弱い国ではなく、メディアもインターネットの普及で様変わりした点を強調。

「売れるからとかページビューが稼げるからという理由で極端な方向に走ればどうなるか、もう明らかですよね」と、商業主義に走るメディアの危うさにも言及した。

飯田氏は、「竹槍では戦えない」と書いた記事は、報道に携わる人々の後悔や葛藤から生まれた決断だったと推察。しかし、その時には「すでに取り返しがつかない段階に来てしまっていた」と振り返る。

SNSなどで見られる外国人への排他的な風潮や他国を蔑視する空気が、戦争前夜の風景と重なると懸念を示した。

「太平洋戦争は日本の転落を加速させました。84年前の今日がその開戦日なんですよ。やっぱり改めて考えたいです。その日が二度と来ないように、私はそんな思いですね」と、過去の教訓を未来に活かす重要性を訴え、話を締めくくっている。

※この記事はPodcast番組をもとにAIを用いて自動生成されたもので、誤った情報や不完全な記述を含む可能性があります。正確性や品質は保証されませんので、必要に応じて他の情報もあわせてご参照ください。